主人が亡くなってからは本当に生活ががらりと変わってしまいました。
私の実家に出戻ってみたはいいけれど、大人3人が暮らしている普通の一軒家。
12年間、家族4人が暮らしてきた荷物が入りきるスペースなどあるはずもなく、大半を処分。
それでも段ボール箱の山。その谷間を縫っての生活。

毎日が必死、でした。いかに平穏な生活に早く戻すか。そればかりを考えて走り回っていました。
子供達にとっては学年末のお引越し。あと少しで年度が終わるのに、中途半端な時期の転校はさせられないので、毎朝、2つの町を越えて登校班集合場所まで送り、借りていたお家の片づけをしながら、子供達の帰りを待ち、また家に帰る、という生活でした。

このときも、春休み直前だったので日数にして半月ぐらい。その間だけ、義父母の家の2階が開いているのを知っていたので、間借りをお願いしましたが、「落ち着かないから嫌」とのことで、毎日の送り迎えをしていました。

『誰も身内は助けてくれない』身にしみてわかったことでした。
口先では「大変でしょう、何でも言ってね」そうは言っていても、一度だって引越し、その後の後片付けにはだれも顔出しにすら来ませんでした。かえって気楽に片づけができた気もしますが、女一人で工具を振り回して借家の中に主人が作った棚や家の周りのすべてのトレリスを取り壊す作業は本当に難儀なものでした。


家を完全に片付け終わったころ、子供達も年度が終わり、転校。
何度「この町で暮らしたい。この学校に通い続けたい」懇願されたか。
でも、義母の「こださんが働きに出かけたら子供を押し付けられるだろうから」との言葉に半ば反発もあり、街を離れました。


今の街にも4年かかってようやく慣れてきました。
この4年の間にもいろいろなことがあって泣いたり喚いたりもしました。
でも、少しずつですが落ち着き始めているのかな・・・・?
2006.春