主人が亡くなってから、いろいろなものがガラガラと音を立てて崩れ落ちていきました。
義父母との関係もそう。

どうしても忘れられない溝。
主人が亡くなってから葬儀までの数日。「一晩だけでいい、家族一緒に眠りたい」の言葉に
「家の中に人がいると落ち着かないから」と簡単に義母に拒否されたこと。
葬儀までの間、毎日主人の顔をきれいに拭きに実家に日参していたとき、親族も私の母も子供達もいる前で、冷たく眠っている主人を挟んでの一言。「こださんはまだ若いんだから再婚すればいい」・・・信じられなかった。もう起き上がることはないけれど、主人の前でそんなことを言われるとは。

お墓にしてもそう。四十九日法要の納骨の日。
お経を上げてもらっての納骨の後。子供達に向かって「ここのお墓はお父さんが入っているんだから、『あんたたちは』入ってもいいんだよ」・・・え?
そして義姉の子供達にも。「あんたたちも入っていいんだからね」・・・私はどうだっての?
「こださんはどうするかわからないものねぇ」・・・入れたくない、ってか。別に死んでまでどこに入ったって構わないけど。

嫁いでから12年間、一度だって義父母にはたてついたり、口答えをしたことはなかったんです。お腹の中では「違うよ〜」と叫んでいても。いつも笑って聞き上手、を心がけてきました。
だって主人のお父さん、お母さんなんですもの。
でもね。
私はもういっぱいいっぱいだったんです。
私のしつけ、教育方法を頭から否定してこき下ろして。「もう来るな!」に売り言葉に買い言葉。「だったら子供達はあなたが育ててください」そう叫んで2度目の迎盆の日に義実家を飛び出しました。
結局、私を利用しなければ病院に行くこともお墓参りにも行く事のできなかった義母。
はらわたが煮えくり返っていながらも義母のお誕生日にプレゼントを贈ったことへのお礼の電話を私ではなく母にしてきて、「あの時は興奮していて何を言ったか覚えていない」「お互いに嫌な事は水に流して」の言葉に結局うやむやに・・・
義母はそれで終わった、と思っているかもしれないけど、私の心の中には澱となって残っています。

所詮、嫁は嫁。孫は身内だけど、嫁は他人。そんな態度が折々に見え隠れしています。

嫁姑のいざこざにクッションとなり守ってくれた主人はもういない。
辛い思いしかできないのなら、縁を切れたらいいのに。そう思います。
でも、私達の子供達はその義父母の孫、なんですよね。そう簡単にはいかない・・・それが辛いです。
2006.春